all streets shibuya
A local guide made by walking
渋谷の奥の奥、
幡ヶ谷の北のOFF
Vol.17 平山 潤
(NEUT MEDIA代表)
2024.06.15
渋谷区の憩いの場である代々木公園では4月、「TOKYO RAINBOW PRIDE 2024」が開催されました。LGBTQ+当事者並びにその支援者(Ally)とともに、「“性”と“生”の多様性」を祝福するフェスティバル&プライドパレード。6月には世界各地で「プライド月間(Pride Month)」として、LGBTQ+の権利について啓発を促すさまざまなイベントが行なわれます。
ジェンダーやセクシュアリティをはじめとする社会課題に対し、既存の価値観にとわれない視点を提供する『NEUT Magazine』編集長の平山潤さんに、渋谷区の街歩きをお願いしました。スイッチを「ON」にしなければいけない日々で、「OFF」になれる町。それが今回の舞台、幡ヶ谷の北側です。
いつもだれかと会える、
コミュニティのハブ
「あれ、萌菜ちゃんじゃん! 最近どう? お店は?」
幡ヶ谷の「Sunday Bake Shop」に着くなり、友人と遭遇した平山潤さん。すぐ近くでカフェ・バール「Cyōdo」を営む山口萌菜さんは近況報告を済ませると、新宿方面に向かって自転車を軽やかに漕ぎ出していきました。
「いまみたいな出会いは幡ヶ谷だと本当に多いんですよ。お店をやっている人とか、住んでいる人とか。このお店がコミュニティのハブになっているおかげかな。店主の嶋崎かづこさんのお菓子はどれもおいしいし、リーズナブルだから、手土産にも買っていきます。週3回は通っていますが、手作りのアイスクリームも濃厚でおすすめですよ」
幡ヶ谷駅の北側に残る
生活者のための町
幡ヶ谷があるのは渋谷区の北端。「奥渋谷」と呼ばれる富ヶ谷や代々木上原のさらに奥へ位置し、近年は幡ヶ谷駅の南口、西原エリアがにわかに注目を集めつつあります。
「でも、僕にとって居心地がいいのは幡ヶ谷駅の北口のほう。駅や甲州街道から南側に行くときはスイッチが自然と『ON』になるけど、こっち側なら『OFF』でいられる。生活者のための町だから、選挙時は選挙カーの呼びかけや街頭演説がすごいっていうのも、このあたりではあるあるの話です(笑)」
電車が京王新線のみのため、公共交通機関に恵まれているとはいいがたい町。しかし自転車があれば、渋谷や新宿、下北沢、中野に軽々とアクセスできる好立地でもあります。
「最近も『WOOD VILLAGE CYCLES』で自転車を修理してもらいました。ポートランドを参考にした店内の雰囲気がかわいい。古いパーツやフレームでカスタムするというと敷居が高く思われるかもしれませんが、店主の木村祐太さんらと世間話をするために来るお客も多いくらい、町に開かれたお店。自転車と植物が並ぶ『TANDEM hatagaya』もいい空間ですし、それだけ幡ヶ谷では自転車が身近な存在なんだと思います」
地域を考えるイベントに
『NEUT Magazine』として参加
そんな幡ヶ谷も近年、笹塚や初台とともに「ササハタハツ」と称され、再開発が計画されています。映画「PERFECT DAYS」でも記憶に新しい、「THE TOKYO TOILET」プロジェクトによる「七号通り公園トイレ」も新名所化。この町の風景もまた、変わりつつあるのでしょうか。
「商業施設を中心とした再開発ではなく、地域住民がまちづくりに参加するムードが幡ヶ谷にはあるように思います。『NEUT Magazine』でも3月末、お茶会から地域を考える『TPT』によるイベントで、告知用の新聞を作らせてもらいました。幡ヶ谷の飲食店7軒がひと品ずつ持ち寄って、スペシャルプレートランチを販売。こうした緩やかな連帯、横のつながりがあるのも、幡ヶ谷ならではでしょうね」
「自分」を持った
幡ヶ谷の人々に囲まれて
「というのも、僕は幡ヶ谷に引っ越して3年くらいですが、同じ時期にスタートしたお店が多いんです。毎月のように通っている『キッチンかねじょう』は、4月に3周年を迎えたばかり。店主の上松晃大さんが鹿児島県出身なので芋焼酎が充実していて、ここではいつもドライ割(トニック割)を飲んでいます。同様に2020年末オープンなのが、ナチュラルワインが豊富な『boat』。流行だからではなく、信念を持ってナチュラルワインを出すお店が多いのも、この町の特徴かもしれません」
信念のある人に惹かれるのは編集者の仕事においても同じだと、平山さんは言葉をつづけました。
「『NEUT Magazine』の印象か、社会課題に取り組む人に惹かれると思われがちですが、僕はただ『自分』をしっかり持った人が好きなんです。幡ヶ谷の居心地がいいのも、『自分』を確立させた人のお店が多いからでしょうね。じつは高校時代まで、夢はパティシェになることでした(笑)。いまも完全にあきらめたわけではありませんよ。メディアなのか、お店なのかわかりませんが……大好きな食にどう携わっていこうか、この町でおいしいものに囲まれながら考えつづけています」