all streets shibuya
A local guide made by walking
遮二無二駆け抜けた
作家以前の渋谷生活
Vol.19 小原 晩
(作家)
2025.03.31
「唐揚げ弁当を抱きしめて、表参道を遮二無二駆け抜ける」という一文に、どんな想像が広がるでしょうか。手軽さの対極にあるような弁当を胸に、おしゃれの極地たる表参道を走るティーンエイジャー。そんな映画めいたシチュエーションはしかし、作家の小原 晩さんがたしかに経験した現実で、後に『ここで唐揚げ弁当を食べないでください』というエッセイ本として読者の心を打つことになります。デビュー作の自主制作本がスマッシュヒットを記録し、いまや商業出版が相次ぐ彼女にとって、渋谷は労働の街だったと語ります。10代後半から20代前半にかけて、ときにのんびり、ときに遮二無二駆け抜けた記憶を振り返りながら、思い出のスポットを案内してもらいました。
富ケ谷のパン、
参宮橋のジェラート
「好きな店ですか……富ケ谷の『PATH』はよく朝食目当てに出かけました。当時の同居人が働いていたので」
作家の小原 晩さんが挙げたのは、「パンとか焼いて生きていきたい」というエッセイにも書かれた友人の元職場。彼女の思い出の街は、つねにだれかとの関わり合いのなかにあるようです。「参宮橋の『FLOTO』にもよく行きます。あのあたりは飲食店同士のコミュニティのようなものがあり、友人の友人ということから仲良くなった子が、いまでは立派な店長。ピスタチオや紅ほっぺのジェラートをよく食べますね。楽しいお店が多いエリアですが家賃は高いし、スーパーが少ないし……当時20代前半の私にとって、暮らすには大変でした」
狩人として歩いた
美容師時代の表参道
小原さんが東京生活をスタートさせたのは、高校を卒業した18歳の春のこと。八王子市で生まれ育ちながら、23区外のため東京出身を名乗れないと苦笑いします。
「地元を好きになれないまま、逃げるように就職したのが表参道の美容室でした。渋谷PARCOの裏にあった会社の寮に入り、年上に囲まれながら、早朝から深夜まで働き詰め。朝の表参道って歩いたことありますか?自転車が何台もびゅんびゅん走っていて、たいてい出勤中の美容師なんです」
仕事に慣れると、小原さんはさらに街を知るようになります。仕事をサボってコンビニの唐揚げ弁当を貪り食べた建物の隙間。仮眠するのに完璧な照明や椅子がある青山のビルの化粧室。そして、狩り場としての表参道。
「街行く人に声をかけて、承諾を得て、店まで連れていく『ハント』をやっていました。最初は嫌々でしたが、月に百人は店へ連れていくようになり、いつしかプロの狩人に。きっと脳が麻痺していたんでしょうね。いまでも骨董通り
のあたりを歩くと背筋が伸びます。初心を忘れないよう、あえて出かけることもあるくらい」
かつてのサボり場、
いまの得意先
「初心を思い出すのは『青山ブックセンター 本店』も同じですね。美容師のころはすがすがしいほど貧乏だったので、よく涼みに来たり、ビルの裏で休憩したり。本を大量に買えるようになったのは辞めてから。好きな作家の名前
を見つけただけで買ってしまうことがあります」
いまでは年間文芸ランキングに名前が並び、トークイベントやサイン会へ招かれるようになった店内には、私家版として刊行した『ここで唐揚げ弁当を食べないでください』も並んでいました。
「見本の表紙が反り返ってる……それだけたくさんの方が手に取ってくれたということですよね。ありがたいなあ」
歪なグラスに
自分の生活を重ねて
僅か初版200部だった自主制作本の快進撃により、小原さんの作家活動は本格化します。「CIBONE」で偶然、自身初の商業出版『これが生活なのかしらん』を見つけたときには、声を上げそうになるほど驚いたと話します。「あれはうれしかったですね。冬は表参道のイルミネーションがきれいですし、『CIBONE』や『HAY TOKYO』にはよく来るんです。最近買ったのはティプシーグラス。ぐにゃぐにゃ曲がった姿が自分みたいだなって」
そう笑う小原さんのままならない暮らしは、著書のページをめくり、弾むような筆致からたどることができます。渋谷の寮生活に始まり、参宮橋や幡ヶ谷の同居生活。そのころ近かった「そば處大野屋 元代々木町店」は、人生でもっとも
通う蕎麦店となったそう。どれだけ極私的な出来事でも、彼女の言葉は光り、読む人の心をほのかに照らすのです。「読んでくれた方から『ファミレスで後ろの席にいる人の話を聞いているみたい』と言われることがあります。私が書きたいのは、手に入る範囲の小さな日常の、私なりの大事件。あのとき、この街にいたから書けたことというのは、間違いなくあると思います」