all streets shibuya
A local guide made by walking
世界を旅する写真家の
もうひとつの極としての渋谷
Vol.08 石川 直樹
(写真家)
2022.12.16
北極から南極まで人力踏破、当時史上最年少での七大陸最高峰登頂、星の航海術をめぐるミクロネシアのフィールドワーク……石川直樹さんといえば、地球を縦横無尽に旅している写真家です。2022年もパキスタンに遠征し、世界第2位の高峰にして難峰K2(標高8611m)、ブロードピーク(標高8051m)などに登頂したばかり。そんな石川さんにとって渋谷は、世界各地を旅する人生におけるもうひとつの極でした。幼少期は渋谷区初台で生まれ育ち、学生時代はキャットストリートでアルバイト。パンデミック下の渋谷を見つめた『STREETS ARE MINE』も大和書房から発売されています。写真家の瞳に渋谷がどのように映るのか、カメラを手にして街を歩きながら教えてもらいました。
都市生まれの写真家を
自然への憧れが衝き動かす
「来週からネパールに行って、マナスルに登ります。10年前にも登頂していますが、仲間に誘われたので」
ヒマラヤにそびえる世界第8位の高峰(標高8163m)への遠征を控え、石川直樹さんはさらりとした口ぶりで言いました。旅に生きるようになったのは、生まれが渋谷であることも一因なのでしょうか。
「幼稚園くらいまで初台に住んでいました。だから、なんかこう……自然に対する憧れがあるのかもしれません。山の麓で生まれていたら登山に興味がなかったでしょうし、海の近くで育っていたら海に無関心だったでしょう。東京出身だから山や海に憧れるようになったのだと思います」
変化し続ける街と
写真家の結びつき
石川さんは都市から弾かれたように極地へ赴いては、もうひとつの極である渋谷へと戻ってきました。
「どこに行くにしても渋谷駅で乗り換えることが多くて、渋谷に来ると、日本に帰ってきたなあという実感がわきますね。写ルンですなどを購入するのも渋谷ですし、原稿の執筆などをするのはMIYASHITA PARKそばの『ルノアール』。小さいころに区外へ引っ越したといっても、渋谷はずっと身近な街であり続けました」
学生時代には、パタゴニア渋谷店でオープニングスタッフとして働いたり、東急百貨店周辺の登山用品店で買い物したり、「ユーロスペース」で映画鑑賞をしたり。当時から通う場所には「兆楽」の名前も挙がりました。
「あそこは上階がソープランドなんですよ。そのおかげかどうかわかりませんが、値段も安めで腹いっぱい食べられるので、いまでも撮影終わりによく行きます。昔からなじみの店はそのくらいですかね……渋谷はとにかく移り変わりが早い。池袋や新宿とも違うし、似た街なんて海外でも思いつきません。風景がどんどん変わっていくのは、僕にとっておもしろいことですね」
疫禍に移り変わる渋谷を
記録した写真集
「時間が過ぎ去っていくのは当然のことなので、僕はそこにノスタルジアをあまり持たないタイプかもしれません。でも、そうして移り変わっていく風景を見つめたい、記録したいという気持ちは写真家として強くあります」
その言葉を裏付けるように、2022年発売の『STREETS ARE MINE』は疫禍に移り変わる渋谷を記録した写真集でした。
「故郷の東京を撮りたいという思いは昔から漠然とありました。それがパンデミックの影響で海外に行けなくなったことで、身近な街を見つめなおそうと。なんでしたっけ……SHIBUYA SKYとか、SHIBUYA STREAMとか、デカい建物にも初めて上がりました。自分の知らない渋谷がニョキニョキと出てきているんだなと、そのとき思いましたね」
ネズミの視点で闖入した
渋谷に広がる未知の世界
写真集は人気の消えた渋谷の高層ビル群に始まり、路上の抗原検査やハロウィンの喧噪などに続けて、センター街を我が物顔で跋扈するネズミの姿が収められています。
「最初の緊急事態宣言が出た日から撮影を始めました。ネズミが繁殖していると聞いてはいましたが、本当にワサワサいて。なんだか気になり始めて、姿を追いかけるようになりました。ポケットに写ルンですをふたつ入れて、ネズミを見かけたらノーファインダーで撮影。ストロングゼロを飲んで千鳥足になっている姿には衝撃を受けました。こんなに身近な街なのに、全然知らないことばかりじゃないかって」
スペイン坂の下に人知れず置かれた不思議な石に、渋谷のロフト前でひっそりと佇む道祖神。石川さんの目にとまるスポットは、ネズミ同様に未知の世界への入口となるようなものばかりでした。いつから存在するのか、だれがなんのために置いたのか。
「身近な場所にこそ未知の風景が隠されていると僕は思います。移り変わりが早い街なので、未知と出合えたような撮影場所もどんどんなくなっていくでしょう。でも、だからこそ、写真に残しておいてよかったなと感じています」